明けましておめでとうございます。
昨日 2017年1月5日(木)仕事初めでした。
まずは恒例の草土稲荷への参拝からスタートです。
二礼二拍手一礼で新しい年のスタートが切れた
事に感謝。
そして、気持ちを新たに今年一年色々な事に
チャレンして行こうと、心に誓いました。
どうぞ、今年一年もよろしく、お願い致します。
さて、今日は北吉津 胎蔵寺さんから時々
「胎蔵寺だより」を頂いております。
その中に書いてあった事・・・
すごく今の私のこころに響いたので、文章を
まとめてみました。
胎蔵寺 住職 竹原善生さんの文章です。
【相互礼拝】
「相互礼拝」とは文字通り「私たちがお互いに
拝みあう」という意味ですが、ここに言う「お互い」
とは自分が尊敬する人、好意をもつ人だけでなく
嫌いな人、悪い人をも含むのです。
「自分の悪口を言いふらすような人のいったいどこを
拝むのか」と異論がでるかもしれませんが、
それは、その人の心に潜む「仏性」仏の心を
拝むのです。
人間というものはいつも膳と悪が一緒に住んでいる
事が感じられます。仏教では「悉有仏性」・・・
誰にでも仏性(仏の種・仏心)があると説いています。
どんなに悪人でも、その悪い部分が全てではなく、
いかに腹の立つ人間でも、それがその人のすべて
ではない。どこかに必ず尊い仏の性質が潜んでいると
説くのです。
「相互礼拝」は、こうした仏性を拝もう、相手の仏の
心に手を合わせようという教えなのです。
そして、相互礼拝の教えが目指す最後の目標は
もっと積極的にお互いのに相手の人格を信じ合い、
相手の仏性を拝み合うことで「仏の国」「極楽浄土」を
私達がこの世に作り出すことなのです。
心の中の「怒り」という相手に勝つことができたら、
それだけ仏のこころに近づいたことになるのです。
年末から年始にかけて、自分の心の中に芽生えていた
ものがこの【相互礼拝】ということについて書いて
頂いている文章を読んで、なんだか、「スッキリ」と
しました。
さぁー 今日一日も皆様 よろしく、お願い致します。